フランケンシュタイン

 

先週のゼミでは、教育開発支援機構共通教育研究センターにいらっしゃる、石川源一先生にお越しいただきました!

 

初めての文学の授業で、宿題は「フランケンシュタインを3回読んでくること」でした。

 

ではさっそく、文学とは???

文学とは、フィクション・ノンフィクション問わず、自分ではない誰かになりきることが可能なエンターテイメントの一種で、登場人物たちの人生や感情を楽しむことができるもの。

だそうで、文学=エンタメだそうです。

 

フランケンシュタインとは、イギリスの小説家で、メアリー・シェリーにより匿名出版されたゴシックホラー小説です。

改訂版の時に、名前が載りこの時代は

女性に対する権利がなかったため、出版社の方に名前を載せることを反対されて、載せれなかったそう。

 

先生が、「本に対する感想を書きなさい」とのことだったので、ざっと書いてみました。

 

・怪物は最初は性格も良くて、文字も自分で学んだり、夜に手伝ったりしていい人だったのに人間に認められず、孤独になったせいでどんどん性格がひん曲がっていってかわいそう

・怪物は、家族愛に憧れていて羨ましがっていたのに、自分を作ったヴィクターには拒絶されてかわいそう。あなたに愛されなくて誰が愛してくれるの??

・ヴィクターはなぜこんな見た目の怪物を作ってしまったの?

・ヴィクターも怪物を作ってしまったばっかりに、人生が最悪になってしまって、自分は死ねず、周りが殺されていくのがかわいそう。

 

この内容を読んで、誰にも愛されず、拒絶しかされない怪物をかわいそうに思いました。でも、その怪物を作ってしまったばっかりに人生崩壊していくヴィクターもかわいそうに思いました。

 

みんなの感想を聞いていても、怪物可哀想と言う声が多くありました。これには、

最初の導入でウォルトン目線→次にヴィクター目線→怪物目線→ヴィクター目線→ウォルトン目線というようにマトリョシカのような工夫があったそう。このように真ん中の怪物を囲むようにしているため、怪物が可哀想に思うらしいです。なるほど!!

 

文学では、「なんとなく〜」「たぶん〜」「絶対〜」と言いがちだそう。これをなぜ?と突き詰めていくと、答えが出ない状況に陥る。これをJohn keatsによるとnegative capabilityというらしい。negative capabilityとは、答えが出ない状態をあえて放置する姿勢だそう。

 

そしてそして、石川先生からの宿題

・人間(クローン人間)を作り出すことの是非

→私はダメだと思う。

単純に自分と同じ顔の人間がいることが怖い。

作ってしまったら人間が怠けたいって、クローン人間に頼りすぎて本来人間ができる限界のところまで頭を使わなくなってしまいそう。

 

・自己肯定感はどうすれば実感できるのか

→これはとても難しい。

怪物のことやinstagramのいいねとかは他者に自己肯定をしてもらいたいものなのかな、、とか思ったりもするけど、私的にinstagramのいいねの数は気にならないし、、、

じゃあ、どんな時自己肯定感を実感できるかって言われたら、他人に褒められることが続いた時とかかな?とか思ったりもする。

というかそもそも自己肯定感とは??

 

それでは明日!